ペルシャ絨毯と日本には、あまり知られていませんが、実は長い歴史があります。
絨毯自体の歴史は、魏志倭人伝の中で、魏の皇帝が卑弥呼に朝貢の答礼として、絨毯と思われる敷物を贈ったとの記述もあり、その歴史は意外に古い事が分かります。
ペルシャ絨毯が日本に伝来したのは、安土桃山時代の事です。当時のシルクロードと中国を経て、我が国に渡って来たと考えられています。そして時の権力者の豊臣秀吉が、その美しさをいたく気に入り、絨毯を裁断させて陣羽織として身に纏いました。
また、京都の有名な祭りの祇園祭には、17世紀に伝わったとされるペルシャ絨毯が山鉾を飾る懸装などに飾られており、我が国の祭りの文化にも深く、関わっている事を伺わせます。
ペルシャ絨毯が作られている、イランと日本で共通しているのが、土足の文化の欧米とは違い部屋の中では靴を脱いで生活するという点です。そんな生活習慣も相まって、絨毯は我が国の生活スタイルにすんなりと溶け込み、受け入れられて来ました。
直にその手触りを感じられる絨毯は、畳を床に敷いて直にその手触りを楽しむ我が国の生活風土にも合っています。デザイン的な面で言えば、単体で見ると鮮やかな印象のあるペルシャ絨毯ですが、染料には天然の染料を使用しており、時が経てば経つほど深い色合いを帯びるようになり、わびさびの文化があり、枯れたような深い色合いを好む私達には受け入れられやすい色合いと言えるでしょう。
ペルシャ絨毯には、クム、イスファハン、カシャーン、ナイン、タブリーズと言った具合に、我が国で作られている唐津焼、信楽焼、備前焼などの陶磁器と同じように、生産地によって特徴的な風合いやデザイン・素材があります。こうした点も我が国の伝統工芸品との共通点と言えるでしょう。
中でも我が国で人気の生産地とされているのが、ナインで作られた絨毯です。織り自体の歴史は100年そこそこでそれ程長い訳ではありませんが、その色合いが人気です。ベージュに近い色合いは、シンプルな住宅が多い我が国の住宅環境にマッチしており、木工家具のように年月が経つにしたがって、段々と飴色のような色に変化していく様子も我が国の国民性に合っています。
文様はメダリオン文様、庭園文様、花瓶文様などたくさんの文様がありますが、中でも我が国で用いられている風呂敷の文様としておなじみの唐草文様もあり、この点も我が国との共通点を伺わせるポイントの1つです。